バンコクという都市に於いて
日本からの気温差は二十八度。
空港のラウンジの窓から眺める空が徐々に明るみ出したが、天気予報とはうって変わって曇り気味だ。
それでも外気は三十度だという。
寝不足のせいもあるのだろうが、いまいちうだつが上がらない。
待ち人が来ないのに、待っている、そんな気分だ。
今では「タイへ行きます」と言うより、
「バンコクへ行きます」ということが多くなった。
バンコクという都市は大都市であり、またノスタルジックでもあって、高いものは高く、安いものは安い、潔さが心地いい都市だ。
近未来都市とも、摩天楼とも、雑多だとも言える、その間にある、昔からの営み。
何ものもが全くをもって私自身と関係しているように思え胸焼けがしていても、中心を流れるチャオプラヤー川の水上バスからバンコクの営みを眺めるとき、ようやく、私という個が融解して一時の安堵が私を包み込む。
辻仁成の「サヨナライツカ」の舞台に出てくるオリエンタルバンコクを船から眺める。いつかここでアフタヌーンティーをと夢見ていたが、未だ行っていない。好青年と沓子の二人の世界にお邪魔するのは無粋とでも思っているのかもしれない。
夕暮れ時、川沿いにある三島由紀夫の「暁の寺」にも出てくるワットアルンを眺める。
「サヨナライツカ」に於いてのハイライトでもある。
対岸に輝く黄金の塔、ここもまだ行っていない。私に取っては手付かずの風景のままでいいのかもしれない。
ここが「サヨナライツカ」に於いてのある種のハイライトだ。
この物語にあるのは輪廻だろうか。それを一生の中での、現世にて表したのかもしれない。
当時この伝説のバックパッカー小説の復刻版がバンコクの紀伊国屋書店で売られていた。嬉々として購入したわけだが、誰かに貸し、時間が経ち、気づけば手元にはない。
再度購入しようと思ったが、今ではなかなかのお値段だ。
私がバンコクへ行き始めた時はすでにカオサンロードに主要な旅行者は居を構えていたが、それ以前の日本人たちはチャイナタウンのジュライホテルにいたらしいと、噂や、書籍で聞いていたくらいで、その猥雑で、汚く、埃臭い話に憧れをもっていた。
今ではまた新しい、そういった宿がカオサンにできているらしい。
そろそろ「永遠も半ばを過ぎた」頃だろう。
旅情とは、それの中にいって、そうか、これが旅情なのかと気づいてみれば、それをまた誰に伝えようかと、同国のものに次会うのはいつだろうと、この感動とはなんだろうかと、そういった思いをバッグに詰めたまま、三日、四日、一週間と旅し、埃まみれで、汗まみれで、日焼けした肌をさらし、独特の異臭をさせ、なんとかまた同胞と巡り会える時まで取っておくものだと、ようやく見つけたとしても、刹那の如く一瞬ですれ違う。今ではその場で捕まえ、捕まえられ、繋がれてしまう。