檸檬
巷では紅白歌合戦に出場した米津玄師が話題になっているようですが、久々に聞いてみようと思い「Lemon」とやらを聞いてみます。
おや、なかなかいいじゃないですか。
20回くらい聞いてしまいました。
元々、作詞には文学の影響を受けていると何かしらの記事で読んだ記憶がありまして。
「Lemon」ということはあれですかね、「檸檬」ですか。
デカダンの無頼派と言えば聞こえはいいですが、若い時は相当やんちゃなようで、とにかくむちゃくちゃで、酔っ払って大暴れ、31歳で肺結核でこの世を去りました。
「その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体に中に吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた」(『檸檬』)
絵画のような「檸檬」の中の一節。
病魔に冒され精神を病む著者が訪れた丸善という、憧れの対象であが故に憎しみの対象にもなっているかのような情景と心理が相まった中に登場する「檸檬」という鮮烈な色合い。
短命がゆえに20編程度しか作品のない梶井基次郎。
一度はその高貴な傑作に触れることをお勧めします。
書店勤務の休憩時間、本棚の背にキラリと光る「檸檬」を見つけ、「きっと誰も私が檸檬を持って休憩に行こうとしていることに気づかないだろう」と得意な胸中でレジまで持って行き、案の定そのレジを打った職場の上司は自分がレジに打ち込んでいるのがまさか高潔な「檸檬」であるということに気付かず、誰にも知られず「その檸檬」を持ち出すことに成功した私は、近所の公園までそそくさと向かい、そのまま顔の上に広げた「檸檬」の香りを嗅ぎながら昼寝をしていたということは誰も知らない。//
ところで米津玄師の「Lemon」は歌詞を見てみましたがどうなのでしょう。歌詞の解釈は聞くもの次第とはよく言いますが。痛烈な失意であること、その心の叫びなのでしょうか。
精神が蝕んでいく中で憧れさえも攻撃の対象になる話はよくある話ですが、これは激しい悲しみの歌でしょうか、それともそう感じる私が悲しいのでしょうか。
その解釈は、やはりそれぞれですかね。